無為に過ごす時間のなんと早いことか

花散らしの雨と風がふきあれています。

花びらではなく、花そのものが地面におちいてる様子は

少し無残を感じさせますが

これもまた、春の風情なのだと思います。

もともと桜はあまり好きではなかったのですが

大ファンだった張国榮さんが亡くなって以来、桜は悲しみの花になりました。

彼が亡くなった知らせを聞いた翌日が

わたしたちが新しく福祉の仕事をするために立ち上げたNPO法人の認証式で

車で会場に向かう途中、一人車の中で泣き続けながら

満開の桜のトンネルをいくつも潜り抜けたことを思い出します。

あまりにも悲しく・・・けれど、あれほど鮮やかな満開の桜を

わたしは未だ見たことがありません。

そんな桜が、また咲き誇る季節がやってきて

昨日は地元中学校、一昨日は地元小学校の入学式がとりおこなわれました。

民生委員をしていますので、招待状は頂いているのですが

もうずっと、そういう晴れのお席に出席するのは控えさせていただいています。

小学校は私と子どもたちの、中学校も子どもたちの母校ですから

大切にしないといけないんですけどね・・・ごめんなさい。

けれど、出席はしなくても、いろいろと思うことはあるんですよね。

たとえば・・・

小学校の六年間って、今考えるとすごく長くて・・・

ものすごく色んなことを体験して

ものすごい勢いで、心も体も成長していく時期なんだよなぁ〜って。

けれど、わたしのこの六年、正確には五年半って

何かをしたと言えることは何もなく・・・ただただ無為に時を過ごした五年半で・・・

そうすると、ほんとうにアッというまでしかなくて・・・

振り返ると、ほんとうに恥ずかしくて・・・

せっかく生きながらえているのに

このまま死ぬまで、ただ飲んで食べて寝て、息をしているだけの日々を過ごすのかと

それでいいのかと・・・それで恥ずかしくないのかと・・・

けれど、ふと思うんですよね・・・

なせ、わたしはこうも、何か意味のあることをしなくちゃいけないと思い込んでいるのかと。

それって、自分が在ることを、素のままじゃ肯定できないから

何かしら立派なこと、何かしら役に立つことをして

その行為によって、自分が在ることを認めてやりたい、許してやりたいのかなと。

自分のことは

根拠のない強い自己肯定に支えられた

安定型の自己愛があるタイプだと思っていたのだけど

結局は、外から得られる評価頼りで自己肯定する不安定タイプの自己中心症なのかと

ちょっとガッカリしているところです。

だから、今現在のわたしの最大の課題は

何も特別なこと、立派なことをしなくても、自分がここに在ることを許してあげること。

何も起こらない日々の中で、静かに微笑んでいられるようになること

今ある自分の命に報いるためには、それしかないような気がしています。

次回はねもう少し楽しいことを話せたらいいな・・・と思っています(^^;。