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私が感じた『東日本大震災』その瞬間

今日は、関東在住である私が感じた『東日本大震災』その瞬間をお話しします。

当時の勤務地は東京23区内。

学習塾なので、午後出勤で、出勤してそんなに時間の経たない午後2時46分。地震発生…

揺れてる…地震

ビルの2階だったのですが、耐震性が良くないのか、めちゃめちゃ揺れる

本棚が傾き始め、本が数冊バサバサと…

『どう考えてもコレはヤバい』

数分続く揺れ…何度も続く余震…

『震度5強』は“人生初体験”でした

阪神大震災はこんなものじゃない…そう考えたらゾッとしました

その日の夕方。勤務地最寄りのJR駅では『危ないですから駅から離れて下さい』のアナウンスが…

夜に入り、JR全面運休のお知らせもあり、既に時遅しと思いながらも、ホテル探しへ…

案の定です。キャンセル待ちの人がたくさんいる中で一応『今夜は…無理ですよね?』と聞くと、『大変申し訳ございません』と…

夜。仕事が終わり、食事だけ買いに出かけ、いよいよ覚悟を決めます。

イス(学校とかのやつです)を6つ向かい合わせに並べ、即席ベッドを作り、コートをまくら代わりにし、スーツの上着をかけてとりあえず寝ました。

途中何度も何度も目が覚める…

計算するに、『眠っていた』と思われるのは2時間ほど。

朝になり、とりあえず起きて、ボーッとしていると、朝7時半。塾の本部から『今日は休校』と指示が…

電車の運転再開を待って、お昼には帰宅しました。

2011年当時、神奈川県南部の一人暮らしのアパートでしたので、棚から物が落ちてた程度で済みました。

阪神大震災の瞬間は、早朝でまだ眠っていたのもあり、記憶にはありませんが、記憶にあるのは『新潟県中越地震』の瞬間。

2004年10月23日午後5時56分発生。

土曜の夕方でした。神奈川県の逗子市内のやはり塾で勤務していたのですが、座っていたのもあり、明らかに揺れているのが分かったんです。

終業後、ケータイ(もちろん当時はガラケー)で調べて『新潟震度7』と分かって驚き、すぐに上司に報告したのを覚えています。

海外では、東日本大震災発生日を『日本最悪の日』としていましたが、『戦後以降日本最悪の日』と補足すべきでしたね。

戦時中の空襲や原爆とは比較にならないと思いますから。

当時、『ニコニコ生放送』というのも、初めて見てみました。

秒刻みでコメントが付き、『みんなと大勢でテレビを見ている感覚』になりましたよね。

おっさんみたいな発言ですが、『文明の利器』ってスゴいなぁと…改めて感じさせられました

以上です