光谷

平成29年GW、石川県小松市の廃村めぐり、

第7の目的地 木地小屋(Kijigoya)は新保から4?ほど山へ進んだ場所にあるが、

国道には「除雪など工事作業中 立入厳禁」という看板とチェーンがあって、

行く手を阻まれた。

時間的にもちょうどよいので、木地小屋行きはあきらめて、

新保、丸山へと戻り、尾小屋、池城経由の道から光谷(Mitsutani)へと向かった。

光谷は比較的小松市街に近く、昭和31年までの集落名は「三ッ谷」だった。

松岡小学校三ッ谷分校は、へき地等級3級、児童数13名(S.34)、

明治18年開校、昭和39年閉校。分校跡には見慣れない「光谷の記」と刻まれた碑が建っており、

見慣れた「ふるさとセンター」の建物はなくなっていた。

碑の表面には「平成26年5月 光谷会建立」と刻まれており、碑は離村50周年を記念して建てられたらしい。

碑文には「昭和38年の豪雪によって、全町上げて取り組んでいたりんご園が壊滅、

閉町のやむなきに至りました」と記されていた。

碑の裏面には「ふるさとセンター」に掲げられていた住宅配置図が継承されていた。

この図と新しい石柱のおかげで、共同浴場跡を見つけることができた。

その他、神社跡、住宅跡の水回りが見つかったが、集落はおおむね森へと還っていた。

集落跡、光谷生水(湧水)の少し手前には、往時からの耕地が見られた。

地域の方の姿が見られたが、遅くなったこともあるので、遠目に見るだけにした。

 画像1 分校跡に建てられた「光谷の記」の碑

 画像2 碑の裏面に刻まれた「ありし日の光谷町略図」

 画像3 新しい石柱と共同浴場跡の浴槽

   (2017年4月30日(日)午後4時55分〜5時30分頃)