新解 如来神力品第二十一−27(P564)

咸皆帰命(かんかいきみょう)

そこで、つぎに「彼の諸の衆生、虚空の中の声を聞き己(おわ)って、合掌して娑婆世界に向かって、是の如き言を作(な)さく、南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏と」となってくるのは、自然の成りゆきです。

 すなわち、宇宙間に存在するありとあらゆる生あるものが、みないっせいに娑婆のほうへ向かって、「「南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏」と唱えたのです。みんなが釈迦牟尼の教えに帰命したからです。

未来人一(みらいにんいつ)

これも、やはり未来のことをいってあるのであって、現在は仏の教えを知らない人もあり、それに触れる機会があっても深くはいろうとしない人もあり、あるいはまちがった思想に心酔している人、思想と名のつくものすら持ち合わせず、ただ馬車馬のような生活をしている人、あるいはもっと下って、道徳や法律に反するような悪行をはたらいている人など・・・とにかく、いろいろな種類の、さまざまな段階に人がいるけれども、未来においては、かならずすべての人が仏さまに帰命するときがくるというのです。

 そうなると、悪人もなければ愚者もない、みんなりっぱな人格を完成しているのですから、この境地を「未来人一」といいます。すべての人びとが「南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏」と唱えたということは、この意味を表しているのです。

昨日は親会社から業務改善のお手伝いをしてくれている人たちと、

飲み会をしました。

眠いです。

ってな感じの

火曜日です。