ユダヤ55〜共産主義は人類に大災厄をもたらした

唯物論共産主義は人類に大災厄をもたらした

 マルクスは、資本主義の発展によって共産主義社会が実現することを歴史的な必然と説いた。資本主義が発達した国では、生産力の増大により生産関係の矛盾が高じ、階級闘争が激化して革命が起ると考えた。だが、西欧先進国では革命は起らず、実際に彼の理論に基づく革命が成功したのは、後進国のロシアにおいてだった。そのロシアでは、共産党官僚が労働者・農民を支配・搾取する社会が生まれ、自由は抑圧された。マルクスエンゲルスは、共産主義科学的社会主義と自称した。彼らによる共産主義こそ、啓蒙思想の一つの帰結だった。無神論唯物論・物質科学万能の思想は、合理主義を極端に推し進めたものである。極度の合理主義としての共産主義を実行したソ連では、社会的・経済的矛盾が高じて、革命の70年後に共産主義体制は崩壊した。20世紀の世界で、共産主義は、最盛期には世界人口の約3分の1が信奉するほどだった。また、その共産主義によって、革命・内戦・弾圧を通じて、約1億人が犠牲になった。そうした思想が、ユダヤマルクスを中心として生み出されたのである。

 こうした結果を招いたのは、マルクスエンゲルスの思想に欠陥があったからと言わねばならない。私は主な欠陥は、次の点にあると考える。

 第一に、マルクス唯物論的な世界観は、自然と人間を物質ととらえ、神・霊魂などの観念を否定する。そのことによって、人間の人格的・道徳的欲求が見失われた。

 第二に、マルクスが定式化した唯物史観は、経済を中心に社会をとらえ、経済的土台が人間の思想や観念を制約するとする。そのため、社会の分析が一面的となり、将来の予想にも大きな狂いを生じた。

 第三に、共産主義は、階級闘争を社会発展の原動力とする。社会を対立・抗争という面からのみ見るため、物事には調和・融合という方向もあることを忘れている。

 第四に、マルクスエンゲルスの思想は、近代西欧の合理主義・啓蒙思想を極度に推し進めたものである。理性への過信によって、理性の限界に気づかず、また情念の暗黒面を見落としている。

 第五に、マルクスエンゲルスは、近代を貫く「全般的合理化」についての認識が浅く、プロレタリア独裁が「官僚制的合理化」を極端化することを予想できなかった。

 こうした欠陥のうち最大のものは、マルクスの人間観が唯物論的人間観だったことにある。唯物論的人間観は、人間を単に物質的な存在ととらえる。共産主義は communism の訳語であり、コミュニズムとは、commune(コミューン)という共同体の回復を目指す思想である。共同体という人的結合体を考えるには、人格という概念が必要になる。だが、唯物論的人間観では、人間の人格的・道徳的欲求が見失われてしまう。人格的成長、精神的向上は、親子・夫婦等の家族関係の中で、基礎が作られるものだが、マルクスエンゲルスは、私有財産制に基づく近代家族を憎むあまり、家族が人格形成に対してもつ意義をも否定してしまった。人格形成のための基本的な場所を消してしまったならば、新しい人的結合体を構想することもできなくなる。家族がバラバラになり、自由になった個人とは、愛と生命の共同体を失った孤独な人間である。その人間に、どういう社会の建設が可能だというのか。マルクスエンゲルスは、まったく間違った方向に、理想を求めたのだった。

 マルクスエンゲルス共産主義は、しばしばユダヤ教の終末思想に比較される。ユダヤ教では、世の終わりに救世主が出現し、ユダヤ民族が苦難から解放され、地上天国が実現すると説く。共産主義の理論では、プロレタリアートが救世主に似た役割を担い、自らを解放するとともに人類を解放し、人類が理想とする共産主義の社会が実現すると説く。マックス・ウェーバーは、宗教とはエートス(ethos)であると説いた。エートスとは「生活態度、生活信条または道徳的性格」を意味する。心理学的に言えば、人間の行動を意識的及び無意識的に突き動かしている行動様式である。このような理解によれば、神、仏、霊等を認めない世界観でも、宗教と呼びうる。そこから、共産主義ユダヤ教の類似性を指摘し、共産主義を一種の宗教ととらえる見方がある。ただし、それは本来の宗教とは異なる疑似宗教や、疑似的な宗教性を持った世界観である。近代西洋文明では、本来の宗教が衰退し、社会が世俗化したことによって、それに代わって人々を信奉させる世界観が出現した。これをしばしばイデオロギーという。共産主義は、その典型である。

マルクスの理論を継承・実行したマルクス主義者・共産主義者には、ユダヤ人が多い。この点については、後にロシア革命の項目に書く。

関連掲示

・マイサイトの「共産主義」の項目の拙稿

http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion07.htm